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確か#011の別視点です。相変わらず無駄な絡み方ですね。
遮る物の無い屋上は遠くまで広がる空を見渡すことが出来た。東の空には大きなうろこ雲が棚引き、それと平行して飛行機雲が白いラインを引き空を分かっている。こうしてただ見上げていると、どこまでも続く壁が目の前を遮っているように思えた。
そのウォールアートに、また一滴のペンキが垂らされる。今度は淡い桜色の雫だった。校庭からここまで吹き上げられてきたのか、一枚の花弁は風に煽られてくるくると踊る。
「ね。聞いてる?」
隣で長い兎の耳が揺れる。コンクリートの地面に座り込んでいた彼女は私の方を向き、首を傾げていた。口に咥えたままのストローからスポーツ飲料の雫が滴り落ちる。
「……何の話、でしたか」
「だから……」
本当は聞かないでも解っている。彼女が何時も読んでいる漫画の話だ。その本の主人公である兎の話を、彼女は好んで私に聞かせてきた。何度も何度も、いかにそのファニィと名乗る兎の行動が面白いかと説いてくる。次は、そうだ。暗い穴の中に落ちたファニィの話をするんだろう。
「友達が助けに来るんですよね」
先を制すると、彼女は面食らったような顔で私を見た。特に興味を惹く話題でも無かったけれど、こう立て続けに聞かされていると、さすがに段取りも憶えてしまった。実際に読んだわけでもないのに、細かな台詞や演出まで頭の中に入ってしまっている。
話を取られてしまった彼女の沈黙を、始業五分前の予鈴が上塗りした。立ち上がり、スカートについた埃を払う。彼女が私を見上げる。黒く長い耳が、その動きの後を追う。
「また明日、聞きますから」
今度は邪魔しない。立てた人差し指を軽く振り、そう約束する。そんな私の仕草を見て、少し納得いかない様子だった彼女も腰を上げてくれた。
けれど結局、その約束が守られることは無かった。私の意思の問題では無く、彼女の意思の問題。次の日から、彼女は全く別の話題……突然現れた王子様の話ばかりを私に聞かせてきたのだ。
* * *
何時も一人で同じ漫画ばかり読んでいる黒兎。教室の誰と談笑する姿も見られず、出席の点呼以外で声を聞いたことは無いように思えた。もちろん私だって、そういうタイプの人に好き好んで声を掛けるようなことはしないはずだった。
夕映え色で染められた教室に、黒髪を靡かせて彼女が駆け込んできた。それが一週間前。偶然教室に残っていた私は、必然的に彼女と目を合わせることになる。
彼女は机の間を抜けて自分の席へと向かう。そして手にしたのは、何時も読んでいるあの本だった。
「面白いんですか?」
興味は無かった。ただあまりに大事そうにしているものだから、気付けばそう尋ねていた。突然声を掛けられたせいだろう、彼女が驚いた顔で振り返る。それから、そう。少しはにかむような顔をして笑った。表紙を私の方へ向けて胸の辺りに掲げ、小さく頷きを返した。
「……お前人の話聞いてんのかメー(・ェ`・@」
携帯電話を通して耳障りな声が鼓膜に触れる。目の前には夕焼けの空。場所は屋上。私は鉄柵に凭れながら、相手に聞こえるように溜息を吐き出した。
「……何の話、でしたか」
「何時までソコで油売ってんだって言ったんだメー!(・巴`・#@」
「たまには晴れやかな学生生活というものを楽しみたいんですよ」
監理官──もとい不愉快な羊の声が電波に乗って轟いた。私は耳に当てていた携帯電話の位置を少し下げる。とりあえず一頻り叫ばせておけば勝手に落ち着いてくれるかもしれない。そう考えて、十分ぐらいの間、黙って空を眺めていた。
「オ゛ァア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ァァッ!(;巴`;#@」
「……思いのほか、頑張りましたね」
二十分経ってから再び電話を耳に当ててみると、その向こうではまだ羊が喚き続けていた。最早何かしら言葉の形を成した声では無く、どちらかといえば嗚咽や慟哭の形に近い。私の態度が気に入らないのだろう、蹄で机や壁を叩く音も聞こえていた。
「……中学生に混じって良い気になってんじゃないメー(・ェ`・。@」
「いけませんか?」
「自分の歳を考えろメー(・ェ`・。@」
「何時までも若くありたいじゃないですか」
「そんなん言ってるから何時まで経っても見た目ションベン臭いガキなんだメー(・ェ`・。@」
「……もう一度」
「何度でも言ってやるメー! お前はションベン臭いガキだメー!(・巴`・。@」
「……もう一度」
「……ションベン臭いガキなんだメー(・ェ`・;@」
「……もう一度」
「有休扱いにしとくからゆっくりしてきてくださいメー(・ェ・`@」
それだけ聞いて通話を切断する。同時に、黒い大きな影が背後から私を覆った。漂う獣臭さに顔を顰める。猿に羊に犬……どうして私の周りには畜生ばかりが集まってくるのか。頭痛を招きそうな悩みに溜息を吐きながら、後ろに立っているだろう電柱を振り返る。
「羊、何て言ってたッスか」
「有休扱いにしておくから、ゆっくりしてきてください……と」
買い物に行かせていた電柱から冷えたココアとクリームパンを受け取る。不快な声を聞き過ぎて気持ち悪くなってきたところだったから、甘い物は素直にありがたかった。
「そういえば、何て言ったッスかね。ほら、前の学校で、いただきますみたいな」
目の前で、青い髪が揺れたように思う。髪を二つに束ねた赤いリボン。金色の真ん丸な目と、笑う度に口元から覗く八重歯。元気な声で、いただきます。
「クヮッチーサビラ」
「そう、それッス。……ここにいると思い出すッスね」
「そうですか?」
「そうッスよ。……元気にしてるといいッスね」
電柱が私の顔を覗き込み、からかうように喉を鳴らして笑った。真っ直ぐに張った髭が、おかしそうに震えている。
目の前の笑みを無視して、クリームパンを一口食む。口の中に甘ったるいカスタードの味が広がった。少し脂っこいかもしれない。これならココアよりお茶を頼んでおけば良かった。
そんなことを考えながら再び視線を持ち上げてみる。真っ赤に焼けていたはずの空は何時の間にか紺碧に移ろい始めている。
ふと、頬を染めながら笑った彼女の顔を思い出す。王子様との約束の話。この分なら、明日もまた晴れるだろうか。他人のデートの感想なんて、聞く趣味は無いのだけれど。
* * *
日曜の昼から降り始めた雨は、月曜の朝になってようやく止んだ。何時もより賑やかさが増したように思える廊下を歩く。その途中、ふと足を止めた。壁に貼られた一枚のポラロイド写真が目に留まる。雨に沈む遊園地を映したものだった。被写体にずぶ濡れの兎が一匹。どうやら、彼女から感想を聞くまでも無いようだった。
その日も夜から雨が降り、また火曜の朝には嘘のように晴れ晴れとした空が広がっていた。つい昨日には楽しそうに笑っていた声が打ち砕かれる。怒号、狼狽、悲鳴。喧騒の中、私の横を数人の教師が駆け過ぎていく。彼らが近くにいた男子生徒と協力して、何者かを取り押さえようとする様子を遠目に眺める。人ごみの中に、黒い耳が揺れたように思えた。
* * *
「思い出したッスよ」
火に焚き木をくべようとしていた電柱が、その手を止めて顔を上げる。
「……何をですか」
「あのヤクザ兎ッス。ほら、何時だったか赤マント追っ掛けてたときの中学校で」
口の周りの毛をもしゃもしゃと掻きながら電柱が続ける。蚤が跳ぶから、そういったことは止めてほしいと何度も言っているはずなのに。……所詮、畜生は畜生ということだろうか。ただの犬ならばまだ可愛げもあるのかもしれないけれど、邪魔臭い石柱とセットでは、どんな仕草をしても鬱陶しいとしか感じられなかった。
「男にフラれてドタマかち割った奴ッスよね。そういえばお前、アイツと仲良く──」
「思い出せませんね」
「……ならば検索せよ! ビッグロー……ッ(-巴`-@」
私が首を傾げると同時に、丸くなって寝ていた羊が意味不明な寝言を発した。続けて、六号が寝返りを打ちながら小さな声で何事か呟く。
「ぶすとりぃ……む」